無意識にしていませんか?「価値観のすり合わせ」

こころ

PexelsEkaterina Bolovtsovaによる写真


Aの立場
「〜ってダメよねぇ」
「〇〇した方が良いと思わない?」
「あれ、おかしいよね」


なんて言葉、
無意識のうちに常用してしまっていませんか?


これらの言葉に対する返事の
およそ90%は、


Bの立場
「そうだよね」
「本当ですね」
「うん、やばい」

こういった
肯定する言葉になりがちです。


ただ、その肯定が
本心かどうかはまた別の話であることくらい
誰しも理解できると思います。

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側から聞いている分には
何の中身も無いような会話ですが、

Aの立場の人からすると、
希に”とても重要な問いかけ”
であったりすることもあるのが

人間関係の恐ろしいところ。


そこでBの立場の人間が
その場しのぎに「そう思うー」

なんて言ってしまった事から

揉め事につながった経験がある方も
少なく無いのでは無いでしょうか。


「〇〇さんがそう言ってた」
「〇〇さんもそう言ってた」
「〇〇さんもそう思うって」

なんてダシに使われて

(いやぁ…そんなつもりじゃあ。)
と後悔した時には時すでに遅し。

揉め事の渦中でポツンと孤独になるあの感じ、
思い出すだけで心がギュッとなりますよね。


こういったよくある一連の流れの、

何がどこが
人を苦しめると思いますか?

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筆者の考えでは、

Aの立場の人間
 人を使って自分を肯定しようとしていること

Bの立場の人間が、
 自分の意見を言えないこと


大まかに分けると
揉め事の原因は双方が作っていると考えられるのですが、

筆者も鬼ではありません。


Bの立場の人間は自分のために
共感したり、その場のしのぎを
“するしかない時もある”のです。


そうして
Aの立場の人間は、

Bの立場の人間
無意識のうちに封じ込め、

人から意見を聞かせてもらえない
裸の王様と化してゆくのです。


一度出来てしまった
2人の間の”膜”は、
何かのきっかけで破れない限り
厚みを増してゆくばかりでしょう。

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そして、もう1つ。

Aの立場の人間も、
Bの立場の人間も、

どちらも自分の意見や自分自身に
自信がない事は明白ですよね。


Aの立場の人間
(私はこう思ってるけど、間違ってないよね!?)

Bの立場の人間
(いやー本当はそうじゃないみたいだけど、
反論して空気が悪くなっても嫌だし。)


Aの立場の人間は、

ここで
Bの立場の人間が共感してくれたことにより
驚くほど強烈な自信を手に入れます。

それはもう、
あひるボートからカヌーに乗り換えたような
勢いを持ち根拠のない自信に
満ち溢れることができるのです。


それって、
とても恐ろしいですよね。


自分だったら、と
考えてみてはいただけませんか?


・・・恥ずかしすぎますよね。


舞い上がって
1人で盛り上がって
言わなくても良いことまで喋っちゃったりして。


相手は、
本当はどう思っているかすら
定かじゃないのに。

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ただ、Bの立場の人間にも
一皮剥けて欲しいなって思うんです。


人の考えていることを
真っ向から”違うよ”って指摘するのって
怖いのはよく分かるのですが、

せめて

共感だけはしないでおこう

って伝えたいのです。


本当に自分の意見に自信がなくて、
自分の価値観を試してみているだけの
Aの人間ならば、

肯定も否定もされなかった時点で、
“あっ、違ったのかも。”って気づけるんです。


100%悪意で
他の誰かを悪者に仕立てようとして
味方づくりをしているようなクズ人間なら

確かに、
Bの人間のことをよく思わないでしょう。


でも、結構、
ただただ自分の思っていることに自信がなくて
相手の様子を伺って試している人ばかりです。


そんな弱虫ちゃんを
“ハッと”させてあげるのが

長い目でみて、
自分のためになったりするものです。

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人は群れたがります。


仲良く群れたいが為に
同じ考えの同志を集めたがります。


でも、

人の生きる目的
人の好きなもの
人の嫌いなもの
人の食べるもの

って人それぞれ。


誰しもが
別々の意見を持っていて当然なのです。


自分の意見・価値観が
人と同じであればあるほど
“良い”と思ってはいませんか?

反対に言うと、

自分と同じ意見の人ならば
自分にとって”良い”ことにしていませんか?


むしろ、

固くなった頭を
人にゴリゴリと擦りつけてはいませんか?


相手にとって
それは負担ではありませんか?


せめて、

ちゃんと、
自分の意見を言える相手なのでしょうか?


これらのやり取りは、
意地悪な人の周りでだけ起こることではありません。


日常会話の中で
日々どこでも自然と行われているからこそ、

無意識のうちに、
どこかで誰かを

あなたが

生きづらくしてしまっているかもしれないのです。

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