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あなたは、
“考えてもしょうがないや”
と思うことができるタイプですか?
世の中の人間は
2つのタイプの分けることができます。
「考えることを放棄できる人」
「考えることを放棄できない人」
この2つです。
圧倒的に多いのは、
「考えることを放棄できる人」ではないでしょうか。
“考えて答えを出す必要があるもの”
だと、一生懸命考えるけど
“考えても仕方のないこと”
だと判断したときは、
考えることをやめるときってありますよね。
その、
「考えることをやめる」
ことができるのって、才能だといえるのです。
世間一般的には、
何事も深く考えることができる人が偉い・賢い
かのような風潮がありますよね。
深く考えたからこそ出た
アイデアだったり、
新しい見方、
新しい考え、
新しい意見、
新しい案、
というものは確かに貴重で、
人や世の中の役に立つものだと思います。
だからといって、
なんの取り柄もないような私たち一般人だと
何事も深く考えていては身が持ちません。
実際に、
「考えることを放棄できない人」が
筆者の友人にもいます。
彼はとても優秀で、学ぶことが好きで、
私がどんな悩みを相談しても真剣に向き合ってくれ
これまでに私では思い浮かばなかった案で
様々な物事を解決へと促してくれたり、
これまでのことを考慮して
たくさんの選択肢の中から
最善の案を導き出してくれるなど、
どんな事でも手を抜かない、
手を抜けないという部分を持っているのですが、
私から見ると、
彼は常に何かに追われ
いつも苦しんでいるように見えてしまうのです。
本人からすると、
“「考えること」は苦しいことではない”
のかもしれません。
それでも私にとっては
そんなことで?
と思えるような物事で
眉間にはシワを寄せ
姿勢は悪く丸まった背中、
手の指を顎か眉間に寄せ、
とても苦しんでいるようにしか見えない姿で
考え込んでしまうのです。
彼なりの答えや、
私から出た
彼では思い浮かばなかったであろう推測を聞き、
「解決」と認めた時の彼は、
とても清々しい表情で
明るく足取りも軽くなるのですが、
またひょんなことから
新しい疑問や問題を見つけると
“考える人”に逆戻り。
すぐに解決をできたり、
推測でしか答えが見つけられないような問題なら
まだ良いでしょう。
ですが、
対人関係の悩みとなると
自分1人では解決できるようなものは少なく、
彼の眉間のシワは深まるばかりで
話を聞いているこっちが辛くなるほど
彼は深く深く思考の海へ沈んでいってしまうのです。
そんな彼を見ていて私はいつも、
「考えることを放棄できる」
ということは”才能”だと気付かされるのです。
もちろん、
放棄し過ぎも良くはありませんよね。
問題を後回し後回しにしていては
必ずしわ寄せが来るもの。
とはいえ、
何事にも真っ正面から向かい過ぎてしまうのは
「明るい生活」とかけ離れてしまう
要因となると筆者は思うのです。
悩んで悩んで答えを出すことが
人生の楽しみや、人生の肥やしとなるならば、
それも人それぞれの価値観。
ですが、
“考えてもしょうがないや”
と頭からポーン!と投げ捨ててしまえるのも
「才能の1つ」であると
筆者は思っているのです。