PexelsのAndrea Piacquadioによる写真
大人同士の親子になった今、
いち人間同士、
尊重しあった付き合い方が出来ていますか?
「母親と娘」の関係性は
人の数だけ様々な形があります。
友達のように仲のいい親子
数十年と会っていない親子
友達のように仲が良く見えていても
本音での話が一切出来ない親子
いい関係を保ちたいがために
出来るだけ距離を詰めない親子
女同士の親子は
一筋縄にはいかないことが本当に多いです。
特に近年多いのが、
娘が成人し社会人になった時。
これまでには感じたことのなかった
母親に対する憤りが急に現れるパターン。
ある日突然、娘の母親を見る目が
“いち娘”としてではなく
“いち女同士”、”いち人間同士”としての目に
ガラッと変わる日が来るのです。
当然、見る目が変わった事によって
“お母さんは女性として、人間としても素晴らしかったんだ。”
と、良いように捉えられる場合もあるでしょう。
ですが女という生き物は、どうしても
「隣の芝生が青く見えがち」で
友人やネット上での親子のやりとりをみて
“あんな母親だと私も違っただろう”
“うちの母親は自立していない”
“常識的にはどうなんだろう”
などと、他人の良い面のみと
等身大の母親を比較してしまいがちなのです。
そして「総合平均評価」ではなく、
「マイナス面重視で判断しがち」なのも女の悪いところ。
家事は完璧にこなすし、
何かあった時は親身に寄り添ってくれる。
だけど、人付き合いが下手な母親だと
急にあきれ返ってしまうほど
頼りがなく感じてしまったり。
それが例え、
自分に対して害がまったくなかったとしてもなのです。
そもそも”子”というのは、
母親に対して無条件に信頼を寄せて育つ生き物です。
極端に言うと、
“子”は母親の考えの元に育つのです。
そのため、親は子に対して期待を持ちます。
同時に、子も、
自然と自分の道しるべを示し続けてくれる親に
信頼と期待を持った上で自我が芽生えてゆきます。
幼い子供から見て、
母親は「完璧以外の何者でもない存在」でしょう。
幼い子供はまだ「欠点」と言うものを知らないからです。
そして、その
「母親という生き物は完璧」という意識は
どこかに根付いたまま、娘は大人になってゆきます。
もちろん大人になってゆく道のどこかで、
母親にも欠点があることを学ぶでしょう。
苦手なこと、不得意なこと、嫌いなこと。
それが頭では分かっていても、
子という存在は、母親に対していつまでも
「誰よりも完璧」であることを
無意識に求め続けてしまうのです。
母親も、母親である前に
ひとりの人間であることを忘れて。
求めてしまうのは仕方がないことでしょう。
“どうして出来ないの!?”
“どうしてしてくれないの!?”
“どうしてそんなことするの!?”
“どうして分かってくれないの!?”
そう思ってしまい、
強く苦しむのは娘の方だったりもします。
身近であるからこそ、本音が出る。
仲が良いからこそ、良い方に進んでほしい。
頼っているからこそ、受け止めてほしい。
ただそれだけのことなのに
うまく言葉にも出来ずにぶつかってしまう事もあるでしょう。
「母親は、立派な人間である。」
それだけは心の根底に根を張らせておき、
水をやることだけは続けていきましょう。
不満もある、文句を言いたい事もある、
忘れられない憤りだってある。
それでも、
今でもあなたを大事に想ってくれていること。
母親の愛情をちゃんと受け止められていますか?
そして子として、
母親に対する愛情、感謝の気持ち、尊敬の気持ち
大事にできていますか?
まずは親子関係を整理するところから。
いつまでも甘えてばかりじゃ
いつまで経っても親子バランス。
仲が良くても、
仲が悪くても、
お互いを支え合えるような
お互いを踏み台にし合えるような
お互いを軸にできるような
人間と人間としてのバランスを保ていけるよう、
「大人同士のお付き合い」
一度、意識してみませんか?